ジェンダー・ウォー第6回 実子誘拐とは何か

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「別居親は死ねキャンペーン」

昨日、kネットにこんなメールが来た。

「4歳の男の子と引き離され1年が経過しました。暴言を反省していない、飲酒運転をしている、うつ病に罹患しているので面会交流を認めないと妻側の弁護士が事実無根の書面を提出しました。どこにでもある夫婦喧嘩を、ここまで大げさに虚偽書面を出し、子供のことなど一切考えない主張をしてくることに驚愕しています。

私たちは犬を飼っていました。妻は、犬の飼育費がかかるので私が引き取るか、里親に出すか、保健所に預ける(つまり殺処分)と調停で言いました。さすがの調停員も調査官も驚いていました。妻は素人で感情的に言ってしまうかもしれませんが、こういう発言を認め、うつ病に仕立て上げ、私が子供と会えば無理心中の恐れもあると書いてきました」

今年4月、伊丹市での「心中」事件が報じられて以来、残された母親側がメディアで「会せるべきだったのか」と悲嘆にくれる記事が多く作られ、その度にぼくたちは、メディアに質問状を送った。子どもにとって、父の家庭も母の家庭も子どもの家である。それは事実なので、子どもの一方の家庭を正式なものとして、他方は「内縁」とすることを強いる、現在の家庭裁判所や法運用のあり方をぼくたちは批判してきた。

この事件においても、遺族は父方の家庭にも母方の家庭にもいるはずだし、父親が仮に加害者だとしても、孫を殺されれば、祖父母は被害者でもある。子どもが母の家にほとんどいたという実態のみから見て、そういった事実を無理やり加害・被害の鋳型をはめることは、実態が事実に合わなくて苦しんでいるそれぞれの家族の構成員にとって、事件の原因を見失わせ、事件の再発防止にはつながらないと思うからだ。

実際、その後量産された記事が証拠として出され、冒頭のような母親側の発言が調停の席で飛び交っている。こういう発言をぼくたちが聞くと、「伊丹で父親が死んでくれてほんとによかった」というふうに聞こえる。


対立が強ければ会せない、それは虐待

以前、しんぐずまざぁず・ふぉーらむの赤石千衣子さんに、岩波新書の「ひとり親家庭」の取材でインタビューを受けたことがある。そのとき彼女が、別居して半年くらいは対立が強いから、子どもは会わせないほうがいいのでは、と述べていて、まだそんなことを言っているのかと唖然としたことがある。

この方は、DVの問題でも発言をしてきたのを知っている。そうであれば、アメリカ司法省の「女性に対する暴力への対策局(Office on Violence Against Women)が、そのホームページ(http:/www.ovw.usdoj.gov/domviolence.htm)で、「子どもとの関係を妨害すること」をパートナーに対する情緒的虐待、と定義していることくらい知っていなければ素人だ。つまるところ、母であることによって社会的ステータスを得るという女性像を墨守しようとする人が、父子引き離しには無頓着であることの証明だった。

一度ぼくたちといっしょに活動していた別居母が赤石さんと会って、「私もしんぐるまざぁず・ふぉーらむに入りたい」と言ったところ、「シングルマザーじゃないと入れない」と言われてムッとして帰ってきたことがある。日本語に翻訳すると、子どもの面倒をみない女は母として認めない、ということだろう。赤石さんがテレビや新聞で半年の引き離し期間の確保を繰り返しているのを何回か見かけるので念のため言うと、それは虐待のススメである。

「そんなことしたら父子関係悪くなりますよ」とぼくは反論したが、親子が会えないというのは緊急事態である。ドイツでは6・8カ月かかっていた交流権の手続きが長すぎるとして2009年から家事事件に関する法律が施行され、原則として手続きの開始から1カ月以内に期日が開かれるべきとされた。また交流事件は緊急の場合には継続中の他の事件を遅らせても優先処理されている。


実子誘拐とは?

赤石さんにはそのとき、「モラハラとかもあるから、宗像さんたちから男の人に話してくれないか」とも言われた。たしかに、子どもと引き離されて冷静でいられない人の話を日常的に聞くが、その感情自体は理解できるので、「だから加害者」という前提で話をしても受け入れられないものだ。いずれにせよ、相手との特定の関係の中で生じる問題だ。「だったら連れ去りを放置しないでください」と言いたいところだが、上記のような先入観で人を見下す人に、言ってもしゃあないと思ったし、もちろんぼくの発言は赤石さんの新書には反映されていない。

また、伊丹市の事件ではそうではなかったのでメディアも取りあげやすかったようだが、多くの引き離し事件が、同意のない子の連れ去りや里帰り後の放置に由来している。たまたま実行者が母親というだけで、それを刑法上の誘拐と呼ぶべきではないなどと言っても、拉致被害者の家族には受け入れられない。DVの加害者が夫だからといって暴力ではないというようなものだからだ。

協議ができない状態なのでそれは仕方ないという議論もあるが、だったら子どもを置いていくという選択肢もある。それが置き去りで不都合だというなら話し合うしかなく、弁護士会はADRという民間調停の分野に乗り出しているのだから、それができないなんていうとするなら詐欺だ。

親権が欲しければ子どもを連れて家を出ろ、と促す女性支援団体や弁護士事務所の掲示は今もある。命懸けで子どもを連れて家を出なければ子どもと会う保証がなくなる制度自体を、なぜこの人たちは問わないのだろう。暴力の事実が曖昧でも、離婚目的で子を連れ去り、その際、DV法による支援措置によって行方をくらますことも可能だ。

こういった手法が通用しなくなることに対して、弁護士やDV被害者支援に携わる方たちの中には「暴力被害から逃げられなくなる」という意見も出る。次回はぼくたち拉致被害者の団体に寄せられる実子誘拐の実態を報告したい。
(宗像 充 「府中萬歩記」第43号)
 

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