共同養育支援法は単独親権撤廃の足を引っ張る

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 昨日(2018年8月13日)、「子どもは一方のものじゃない――離婚親の「共同親権」への期待」というヤフーニュースのオリジナル記事が出ていた。会せたほうがいいけど、DV・虐待の場合もあるから慎重に議論しよう、というよくある「総論賛成・各論反対」の金太郎飴踏襲の記事だ。

 ところで、この記事の中で「親子ネット」の会員が、政府が共同親権を検討することが、「共同養育支援法」成立の後押しとなることに触れていて、「まだやる気あんの」とおったまげた。 


「共同養育支援法」は単独親権存続法


 最初に述べておくが、「共同養育支援法案」は「共同養育」を支援する法律ではなく、単独親権と引き離し利権を維持する法律だ。この法案は以前「親子断絶防止法案」と呼ばれて別居親たちが成立を目指してきたが、議連による議論の過程で中身が変質。むしろ引き離しを維持するための修正案が付け加わり、同時に「親子引き離し」を、親子関係を規定する法律として日本で最初に正式に容認するものとなった。悪法である。

つまり、DV・虐待の「おそれ」がある場合には、親子断絶が正式な選択肢として法律上可能となり、子どもの意思を手続きの過程で尊重することが義務付けられる。DV・虐待を同居親が主張し、子どもに「会いたくない」と言わせれば親子関係を引き離せるのだ。現在裁判所で通用している親子引き離しの理由を正式に法制化するのがこの法律の目的だ。

今回の記事で登場する親子ネットやビジットも、この法律の制定を目指す全国連絡会の一員だ。両団体とも主要メンバーは別居親だが、どうしてこんな引き離し法の制定をいまだに目指しているかといえば、「やりかけたことを途中で投げ出せばカッコ悪い」という理由と、別居親を差別すれば面会交流ビジネスがしやすい、という内向きの理由しかない。

親子ネットの前代表が、共同親権が実現するのは何十年も先、と述べていたのが、彼らがこの法律の成立を、自分達の組織固めという自己中心的な動機で目指していたことのいい証明だ。彼らの会員や利用者はかわいそうだと思うが、実は彼らは単独親権を維持して、別居親の権利を認めないことにメリットがある。


足し算・引き算ができない


 ところで、ぼくは上記各点を指摘して、共同養育支援法(親子断絶防止法)の成立に反対してきた。ここで修正案を飲まずに議員に反感を食らうようなことをすれば、今後議員の協力を得られなくなる、といった何の根拠もない反発を受けたりしたが、結果から見れば、共同養育支援法の制定運動が継続した4年ほどは、ぼくがこの運動にかかわった10年間で一番運動が停滞した時期だ。断絶議連の議員たちは、上川法相が共同親権の検討について公表したとき、事前に相談されていなかったと噂に聞いているが、もしそうなら、議連の活動自体、今回の法相の発言とは無関係だ。もちろん立法活動が検討を促したことはないし、共同親権の議論が共同養育支援法の成立を促すこともない。一言で言えば無駄な立法活動だった。

それだけでなく、この間子どもに会いたい親たちが直面するハードルを上げ、そのことで困難を感じた人がいれば、それはこの立法活動のリーダーたちのせいだ。早期に議連が解散してくれれば、議員への直接の働きかけもスムーズになり、国民的な議論も進む。

 ところで、この法案が本当に別居親のためになると考えている人がまだいるとしたら、それが見当違いな理由は、両親からの養育が子の利益だという理念を掲げたから例外の意味がなくなるわけではないことが挙げられる。

面会交流を規定した民法766条は、子どもの利益のために面会交流の取り決めが促されているので、実際には両親からの養育は子どもの利益だという趣旨のもとでの法改正だった。つまり共同養育支援法の理念程度の立法化はすでになされている。その上、766条改正時には、付帯決議で面会交流の支援が触れられ、共同親権に関する検討も含まれているので、むしろ共同養育支援はすでに根拠法があるし、今回の法相の発言にしても、法務省内ですでに検討していたことを口にしたにすぎない。多分法案もすでにできているだろう。

共同養育支援法は家庭裁判所の実務も現場の混乱も引き起こさないと踏んだ法務官僚が、政治家に対してリップサービスを示しただけで、だれも本気でやろうとしていなかっただけだ。なぜならこんな法律は実務上いらないからだ。むしろ意味があるとしたら、別居親の養育権の主張に対して、正式に制約することができるという例外規定の側面だけである。つまりこの法律は別居親弾圧法なのだ。できていれば、別居親子の権利回復運動は大きな打撃を受けただろうし、今でも成立すればその恐れはある。


共同養育支援法を目指せば単独親権撤廃は遠のく


さて、上川法相が「選択的共同親権」について触れながら共同親権について言及するのはなぜか。それは外圧へのガス抜きという側面もあるが、「選択的共同親権」なら単独親権を維持できるという、共同養育支援法の成立の意図と同じ理由がある。実子誘拐が放置された中での「選択的」など、実効支配親に拒否権を正式に付与するのと同じで悪夢だ。

その上、共同養育支援法の例外規定を維持しながら今後も議論が推移すると、例外規定にある「別居親は危険だ」という偏見を前提に今後の議論が引っ張られ続ける。つまり、共同養育支援法の成立を目指す限り単独親権は存続し続け、共同養育支援法の成立にこだわればこだわるほど、共同親権は遠のくのだ。

ぼくたちは、単独親権と戸籍制度の撤廃をもって、別居親子の権利回復を目指している。共同親権が法律上規定されることがゴールではなく、親子断絶の根拠に戸籍制度が使われず、単独親権が親子引き離しのツールとして使われないこと、個々の家族関係が幸せになることが、この運動の目的である。共同養育支援法の立法活動にいまだにこだわるなど、共同親権運動のマイナスでしかなく、もっと言えば苦しんでいる別居親当事者をだます裏切り行為の継続にしかすぎない。


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